<金融アトラス/a>

金融アトラス

個人の勉強も兼ねて、少しずつまとめます。

資産バブルと金融危機の関係ー北欧の事例ー

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日本ではバブル崩壊から7年ほどのタイムラグの後、不良債権の表面化等により金融機関が破綻するなど、危機が表面化した。一方、日本とほぼ同時期に、北欧においても金融危機が生じた。もちろん、規模等が異なるため 正確に比べることは困難だが、これを日本の場合と比較することで日本の金融危機の特徴を確認することができる。

 

北欧では、日本と同じように89年をピークに資産バブルが生じ、その崩壊によって危機が生じた。しかし北欧のどの国も、92年までには危機のピークを経験している。これは日本のそれよりも5年あまり早い。このように両者に著しい違いが生じたのはなぜか。

 

北欧危機と日本のそれとの決定的な違いは、公的資金注入のタイミングである。北欧では、バブルが崩壊し大規模な銀行の危機が明らかになってすぐに公的資金が注入された。内閣府の平成 21年年次経済報告によると「スウェーデンでは、92年に公的資金による銀行の預金・債務の全額保護を含む包括的な支援策がとられた。(中略)フィンランドでも、92 年にすべての銀行に対して予防的な公的資金を注入したほか、41の貯蓄銀行を合併して設立したフィンランド貯蓄銀行(SBF)に対して政府保証基金による公的資金注入、債務保証等の支援を行った」という。

 

なぜ迅速な処理が出来たのか。それは、問題の表面化が早かったためである。北欧三国のうちどれにおいても、91年までには大手銀行の経営難が明らかになっている。 Nakaso(2001)は、これらの銀行の混乱が直ちに国家的な危機につながるという認識が北欧では共有されたので、公的資金注入が可能になったと指摘する。さらに、平成8年のニッセイ基礎研究所の調査月報は、北欧における公的資金注入の素地として、主に以下の点をあげ ている。第一に、北欧の国々は比較的経済規模が小さく、銀行の寡占度が高いため、銀行の公共性が相対的に高かった。したがって、銀行の危機は直ちに国民の生活に影響を及ぼすことが理解されたのである。

 

第二に、北欧の各政府は銀行に対し経営立て直しを厳しく追及した。国によってその方法に違いはあるが、人員削減や支店の統廃合が進められた。この銀行の自助努力が、国民に受け入れられたのだと思われる。第三に、国家規模が小さいため、政策決定のプロセスが国民に伝わりやすかった。小国であるがゆえの機動力があったものと思われる。

 

以上のことから、日本で見られたような、金融危機に対する楽観的思考や、公的資金注入を含めた法的枠組み形成の遅れ、不良債権等の公表が中々されなかったことによる問題表面化の遅れ、そして不良債権処理の先延ばしは、北欧においては当てはまらなかったことが示唆される。

 

(参考):

Hiroshi Nakaso(2001), “BIS Papers No 6 The financial crisis in Japan during the 1990s: how the Bank of Japan responded and the lessons learnt,” Bank For International Settlements

内閣府(2009)『平成 21 年度年次経済財政報告(経済財政政策担当大臣報告)― 危機の克服と持 続的回復への展望―』

ニッセイ基礎研究所(1996)『調査月報 北欧金融事情-公的資金を活用した銀行救済策-』