<金融アトラス/a>

金融アトラス

個人の勉強も兼ねて、少しずつまとめます。

日本の少子高齢化と経済の持続可能性について

 

日本の少子高齢化は、国の持続可能性に深刻な影響を与えている。以下、一人当たりの経済的な豊かさを維持できるかという観点から考えてみる。

 

財政支出

高齢者の増加により、社会保障費は毎年膨張を続けている。国の財政状況は決して良好ではないので、その他の歳出をできる限り切り詰めようとする。科学技術や教育に対する投資など、将来の日本の生産性向上に大きく貢献するような支出も、厳しく制限されてしまう。マクロで見れば、一人当たりの経済的な豊かさは結局一人当たりの生産性と言い換えることもできる。もともと資源の乏しい日本において、人材や技術への投資こそが発展の源であるはずだが、そうした分野への大規模な歳出が難しくなっている。

 

財政支出の方針を決める政治家は、国民によって選出されるが、国民の人口構成が高齢者に大きく偏りつつあるので、政治家は高齢者を優遇する政策を打ち出そうと当然するだろう。そうすると、上述のような財政支出の状況を変更しようとするインセンティブはあまり働かないだろう。

 

労働力

また、一国の生産量を決定する基本的な要素は労働力である。少子化により生産年齢人口が減っているのだから、当然総生産量には低下圧力がかかる。少ない生産年齢人口で多くの高齢者を支えなければならなくなっている。これが可能となるためには一人当たりの生産性を向上させることが必要だが、上述の理由などから大きなブレークスルーは難しいだろう。全産業においてデジタル化・機械化の導入が急務であり、本来であれば国が予算をつけて企業のデジタル化を後押しすべきである。

 

もう一つのオプションは移民を大量に受け入れて労働力を伸ばすことだが、治安面などから大きな反発が予想されるだろう。あるいは、生産性が高くスキルのある外国人労働者を呼ぶことができれば理想だが、英語が通じず、税金が高く、給料が安い国で働こうと思えるだろうか。

 

日本市場においてはスキルのある労働者(ここでは研究者なども含めて考えてみる)は、全て日本人から基本的には調達されることとなる。しかし、人口減少のため、日本の中で競争が働かなくなり、結果として国際競争力も低下する懸念がある。

 

需要

これまではどちらかと言えば供給サイドで考えてきたが、需要サイドから考えても、少子高齢化は経済に大きな影響を与えることがわかる。日本のGDPの6割以上は内需であると言われる。人口が減少すれば、単純に考えて需要は減っていく。そうすると企業は利益を生み出すことが難しくなり、従業員の賃金を上げることが難しくなる。従業員すなわち家計の所得が上がらなければ、さらに需要は減っていく…というように、デフレスパイラルに陥ってしまう。こうした状況下では、一人当たり豊かさを少なくとも増やしていくことはとても困難である。

 

海外の成長を取り込む

日本のマーケットは海外と比較してもそれなりに大きく、自国内で全てが完結する傾向にあったかもしれない。しかし今後において一つの考えられる策は、海外の成長企業に積極的に投資を行う、海外の需要を取り込む、というように、海外の成長の果実を取り込むことかもしれない。実際、日本の公的年金を運用するGPIFは、海外へのエクスポージャーを増やしている。

 

日本だけが金融緩和を行なっている関係で金利差が広がっているため、数十年ぶりの円安水準となっている現在、円で稼ぐよりもドルで稼ぐ方が圧倒的に割が良い時代になっている。この傾向が長期的に今後も続なら、海外に「出稼ぎ」に行くことがもはや豊かになる道かもしれない。しかし、そもそも海外に優秀な人材が流出してしまう可能性もある。

 

政策の行き詰まり

少子高齢化という問題は、構造的に日本を貧しくする方向へと作用している。抜本的な解決には、今まで議論することさえ忌避されていたような「パンドラの箱」を開けることも時に必要だろうが、今の日本の政治状況に鑑みて、思い切った判断というのは難しい状況だろう。

 

生産性を増やすには、デジタル化を進める、雇用の流動化を促進するといった方法が考えられるが、いずれも国による支援や規制の変更等が必要になるはずだ。この時、政治的に抜本的な規制改革が進むのか、残念ながら楽観視ができる状況ではない。

 

マクロで見た経済的な豊かさだけが政策の目的ではなく、倫理的・道徳的な側面からも政策は検討されなければならない。しかし、こと経済状況のみフォーカスして考えた時、日本の長期的な見通しは、構造的な理由によりかなり厳しいものと言わざるを得ない。