<金融アトラス/a>

金融アトラス

個人の勉強も兼ねて、少しずつまとめます。

GDPは需要で決まる?供給で決まる?ーケインズ経済学ー

f:id:hongoh:20210316222216j:plain

19世紀に現在の経済学の基礎が形作られる(いわゆる古典派、新古典派経済学)が、20世紀に新たな視点を導入したのがケインズであった。

 

『雇用・利子・貨幣の一般理論』の刊行直後にケインズ自らが書いた要約には、このようなことが書かれている。

リカードの分析は、われわれが現在長期均衡と呼んでいるものを対象にしたものだ。マーシャルの貢献は、これに限界原理と代替の原理を付け加えた、さらに一つの長期均衡から他の長期均衡へ経済がどのように移行するか考察したところにある。しかしマーシャルもリカードと同じく、使用されている生産要素の総量は与えられていると仮定したうえで、生産要素がさまざまな生産においてどのように使われるのか、またそうした生産要素が受け取る報酬はどのように決まるのか、これが経済学の問題だと考えた。

 

古典派、新古典派の分析する経済は「ミクロ」であり、存在する生産要素の総量がすべて生産に使われていると仮定したときの資源配分を分析している。一方で、生産要素が実際にどれほど用いられるか、経済全体で生産量はどの水準に決まるか、といった「マクロ」の問題は考えられていない。

 

ケインズの代表的な理論に「有効需要の理論」がある。これは総生産量は投資をはじめとした需要によって変動する、というものである。古典派の理論では、投資増大は将来財の供給の増加を通じて将来財の価格を下げる。これは利子率の上昇とそれによる貯蓄の増大をもたらす。つまり消費と投資のバランスが変化したに過ぎず、総生産量は変わらない。一方でケインズは、投資の上昇は経済全体の活動水準を乗数倍だけ変化させる効果をもたらすと主張する。つまり投資は、「価格」ではなく「数量」に影響を与える。

 

また、需要の変動は総生産量のみならず雇用量にも影響を与える。需要不足は景気の悪化をもたらし、失業を増加させる。古典派の理論では、実質賃金を調整することによって失業は減少すると考えられる。一方でケインズは、賃金の切り下げは容易でないこと、仮に名目賃金を減少させると物価の下落すなわちデフレーションをもたらし、経済活動はさらに縮小してしまうこと、を理由に賃金による調整を批判した。代わりに、財政出動などにより「有効需要」を増大させることが失業対策に有効であるとした。

 

では、ケインズがこのように古典派、新古典派の理論を否定した背景には何があるのだろうか。それは、1929年にアメリカをはじめとした先進国で起こった「大恐慌」である。産出量の大幅な減少は、多数の失業者を生んだ。古典派の理論が正しいなら、価格の調整によって需給は均衡し、(非自発的な)失業者は生じないはずである。現実には、労働者は賃金の減少に対して大きく抵抗する。なぜなら、労働者は周りと比べて相対的に賃金が低い状態(相対賃金が低いということ)に大きな抵抗感を覚えるからだ。よって、政策的な観点から、ケインズは賃金の調整は失業対策としては非現実的であり、財・サービスに対する需要を喚起することこそが有効だと考えたのである。

 

こうしたケインズの考え方は他の経済学者に大きな影響を与えた。サミュエルソンは『経済学』の中で、古典派理論とケインズ理論を融合する「新古典派総合」の考え方を提唱した。古典派の考える価格機能による資源配分の調整メカニズムは短期では有効ではなく、完全雇用が達成されないことがある。よってケインズ主義的な考えに基づき財政・金融政策により需要を喚起することによって完全雇用を達成する必要があり、そのあとは古典派が想定するように自由な経済活動を促すことが経済的福祉を上昇させるうえで重要だとした。

 

(参考):

John Maynard Keynes (1937)”The General Theory of Employment”, Quarterly Journal of Economics